フリーランスになった理由
散々色々なところでフリーランスなんかなるものじゃないと言い続ける私ですが、じゃあお前はなんでフリーランスなんだと言われます。
僕が始めた理由なんて本当になんの夢も希望もなくそこにある現実を受け入れるしか無かったからなんです。
私にとってトラウマとなっているのは
2011年3月11日 金曜日 東日本大震災
です。
この地震から数ヶ月で人間の素の部分がハッキリと見て取ることが出来ました。
はっきり言えば絶望的な毎日。具体的な表現は避けます。
当時25歳の私では到底心に落とし込む事の出来ない事態が何度も発生しました。
目が急に見えなくなる。運転が確実に荒くなる。注力散漫。左半身麻痺。家が火事になっていると錯覚する。鳴ってもないサイレンが聴こえる。深夜徘徊…
到底会社勤め人としては完全に機能しなくなるのです。
根性無しが!と言われました。自分が一番悔しかった。何でなんだ!!となり家の壁ぶん殴ったりしてました。
無意識下で自死をほのめかし友人たちを心配させました。
人生終了したと言っても過言ではありませんでした。
それでも何とか震災から1年。その会社にしがみついてました。
しかし今から思えば完全に心がどうかしていたので相当過激な態度をしていたし、発言もかなり攻撃的になっていた気がします。
もちろん全く気付かず仕事をして発狂してみたいな日々を過ごしていました。
そんなある日、私は関係会社の人と電話口でバトルをします笑
無茶苦茶な配車をしていてこれはドライバーが死んでしまうと言われました。実際やべえ配車していた気しかしないのでまあ、言われるよなwwwという感想。
その時に何故か私は「ドライバーなんて掃いて捨てるほどいるだろ!1人くらい良いじゃねーかよ!」とイカれ発言をしたようです。(同期から聞いた。ドン引きしてた)
電話口で初めて親族でも社内の人でもない人に「もう一度言ってみろ。人を簡単に殺せなんて言うんじゃねーよ!(ガチャっ」とブチ切れられた訳です。
なんかあれ?俺何やってるんだ…となりました。
ああ、なんか性格悪くなっちゃったじゃん。全然優しくないじゃん…って。
そこから本当に落ち込んでしまい、何もてもつけられずただ何となくルーティンをこなす日々となります。(もちろんかけ直して謝った)
と同時に気付かせてくれて良かったなと。ビュー〇ックのKさん、絶対見てないけど未だに怒ってくださった事を心から感謝しています。
そんな日々の時にふとラジオから流れてきた“Bring it on home to me”という曲
人生で初めて音楽を聴いて理屈も分からず号泣しました。
(歌詞的には不倫か浮気した女が出てって自暴自棄になってる曲ですけどねwww)
音楽に救われるという経験を初めてしました。散々やってきたのにたぶん頭でっかちだったんです。心から音楽を愛したタイミングだったなぁと思うのです。
歌は身近なものだと心から思いました。
音楽を続けたい。
心荒んで苦しんでる人に音楽の力で少しでも解消させてあげられたら。
その為には自分自身が音楽に救われたことを音楽を通して表現するしかない。辞めちゃえ!!(切り替えが早異様に思いますが半年以上悩んだ)
となったわけです。
ウジウジしてる時に4つ歳上のお姉さんにグズグズしてんじゃねーよ!覚悟決めなよ!と言われ笑
月次処理が落ち着いた頃に辞表を叩き付けてやりました。
まあ、勤め先は何も悪くはないです。
今思うともし東日本大震災が無かったら会社員続けていたのかもしれません。
違うタイミングで辞めてるかもしれませんが。
あと音楽に心から救われる経験をしたのかもわかりません。
色々重なり今に至る訳ではありますが、その選択が間違いでは無かった事をきちんと証明して行きたいと思っている次第でございます。
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